ミューズの神は、市民会館大ホールに降り立ったようだ。神に憑かれて放心した私は、祝賀会場で屋内なのにも拘らず、傘を差して立っていた。遭遇された津野弘子先輩(高15回fl)は、さぞかし驚かれたことだろう。
高揚した雰囲気の中、祝賀会場では呉幸五郎元団長(中13回)のカクシャクたる指揮による「ドッソ」が演奏され、期せずして「若き日の歓び」の大合唱が沸き起こった。
故高雄弘文先輩(高13回tu)が、編集された1961年東京台東体育館、1965年長崎市公会堂での全日本コンクールの8ミリフィルムや当時の録音、1970年代のコンクール写真など、貴重な資料も座を盛り上げた。
たっちゃんの日記を読んで下さい。
[団員専用メーリングリスト内フォトアルバムで祝賀会の写真をご覧下さい。]
演奏メンバーは、本気モードだった。現在は、同じトランペットでもクラシックとジャズで袂を分つ桑原(高22回)・薮内(高35回)の師弟コンビが実現したのは、一体いつ以来なんだろう。
世話役の「見てないで吹いてよ!」と強引な召集に、新しく楽器を買い、本来 in F の譜面を B♭に書き換えて練習したホルンの和田君(高27回)は、実に30ン年ぶりの復活。ほかにも20ン年ぶりのメンバーが、大勢いて皆よく頑張りました。
今回演奏以外の諸々の仕事を色々な方にサポートして頂きました。本当にありがとうございました。ただ一つ抜けていたのが、自分たちの本番の舞台を撮影するという仕事。左写真は、朝日君(高29回trb)のお母様より頂いた今のところ唯一の本番中のOB吹奏楽団。
唯一と書きましたら早速、津野伸一先輩(高11回trb)から「ないよりましかな」と何枚か送って頂きました。
ありがとうございました。もっと結成50周年記念ステージにしました。
下の3枚は、5月6日午前行われたゲネプロより。こちらは朝日君が練習を抜けての撮影。OBが58名、現役が39名による合同演奏の風景。
[録音集で演奏録音をお楽しみ下さい。]
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ゴールデンウィーク後半。5月3日は、33名、翌4日は、31名が参加。一体全体これで2日付け神戸新聞記事にあったように「全国から卒業生55人」が集まるのか。そもそも4月14日の練習初日が「小学校の低学年」のようだったOB吹奏楽団が、果たして5月6日の本番で普通の大人の演奏が出来るのか。それは神のみぞ知るのである。
4月28日以降本番まで大崎さんが指揮。新手の加勢が待ち遠しいゴールデンウィーク。28日は、22名、翌29日、30日は各29名参加。来週には県外からの帰省組が合流し、少なくとも50名となる予定。それまで地元メンバーで大体の格好をつけます。トランペットの永井君(高32回)、仕事で本番には出れませんが、今日まで練習のみ参加。後に繋いでくれました。
花散らしの雨過ぎた週末、いよいよ練習始まりました。4月14日は、21名が参加。初見大会とっちらかりました。翌15日は、26名。大崎さんお休みのため、山口君(高28回tb)が指揮。だいぶ合奏に慣れてきました。写真は二日目の練習を終えたところ。あちこちにずいぶん久しぶりの顔が見えます!
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お花見のピークも近い4月1日、音楽室にて現役のみなさんの協力を得て、50周年記念行事の案内状発送準備と祝賀会の最終打ち合わせを行いました。 作業終了後、OB吹奏楽団が出来て間もない頃の話にも花が咲きました。譜面の黙読後の初見練習の繰り返しとか、運動場の向こうにいる先生に向かってのロングトーンとか。 出来上がった案内状を早速郵便局に持ち込みました。本当にお疲れ様でした。さあ、14日からの土日祝日午後1時〜5時は音楽室で練習です。皆で頑張りましょう! | ![]() |
いかなごを煮る醤油の香る3月3日、母校音楽室にて高10回田中先輩をはじめ、青山、大崎、津野、飯田、松井の各氏と音楽部前顧問の山本先生が、今年創立50周年を迎えるOB吹奏楽団の記念事業を立ち上げるミーティングを行いました。
冒頭で「OB吹奏楽団は30周年を最後に消滅したのではなかったのか」と辛口の意見も飛び出す中、記念演奏と祝賀会の開催、600名を越えるOB、OGの名簿の整備と案内状の発送を行うことを決議しました。
演奏は、5月6日(日)、明石市民会館大ホールで行われる明石高校音楽部第22回定期演奏会の最終ステージでOBゆかりの曲を集めたものを予定。結成当時、初めて練習した曲や懐かしいコンクールの自由曲などを再び演奏します。