「若き日の歓び」について
ドッソラドに「若き日の歓び」の曲名がついたのは、昭和22年(1947)のこと。音楽部の十八番曲(おはこ)「校庭行進曲」又は「マーチ」が誕生したのは何時か?先輩諸氏に聞いてみないと解らないが、呉さんにお聞きしたところ入部された時には既に「マーチ」として演奏していたと言われる。バンドの練習曲として取り寄せた外国の楽譜(パート別にあった)のIntroからTrioまでの曲(C Major)と、Trioからの曲(F Major)を父が選んでひとつの行進曲にしたと聞いている。多分、音楽部創設間もない頃ではないかと想像するのだが、はっきりさせるには父のスクラップブックから音楽会のプログラムを探し何時演奏したか確かめてみたい。私が入部した時は、その練習曲の楽譜があったと記憶しているが、何時紛失してしまったのか?
そして永い間音楽部の十八番曲(おはこ)として明中はもとより、市民にも親しまれていたが、音楽部とは別に「明石音楽同好会」という混声合唱団(後の明石市民合唱団)あった。呉さん、北後さん、呉さんの奥さんも歌っておられ、呉ご夫妻は合唱を通して結ばれた、というエピソードをご存知の方は少ないでしょう。余談はさておき、その同好会のために「校庭行進曲」に歌詞をつけて歌おうというのが発端で、私が記憶してるのは、昭和22年の春か初夏、私は歯の治療で呉さんの弟さん(呉修治さん 音楽部の先輩でピッコロ/フルートを担当されていたと記憶している。 明石中15回)に診てもらうため父に連れられ舞子のご自宅に通っていた。そんなある日呉さんが詩が出来たと父に見せられ、若干の手直しがあったかは覚えていないが、♪いざ友来たらずや・・・の詩が完成した。呉さんが作詩者名をどうしましょうと父に相談され、舞子に住まわれている呉幸五郎だから
舞子五郎 と即座に決まったのをはっきり覚えている。作曲者は詩の内容から、結城満彰(行きましょう)に、そして呉さんと父が相談して「若き日の歓び」の曲名が名付けられた、というのが真相である。昭和22年7月24日初版のガリ版刷りの楽譜が出来上がり、お披露目は昭和23年4月29日<関西合唱連盟 第23回 春期合唱祭>で明石音楽同好会が歌ったのが初めてではないかと思う。
通常は無伴奏だがこの時はリズムとして関谷卓児さん(高4回)の大太鼓、木村二朗
さん(高1回)の小太鼓が加わり、その後その年の8月1日、淡路・岩屋での音楽会。昭和24年8月7日、淡路・富島での音楽会でも太鼓が加わり歌われている。音楽部の演奏曲目表示も昭和22年夏以降は「校庭行進曲」から行進曲「若き日の歓び」に変わったというのが確かなところである。
2007年5月6日、高7回有永兼人
「若き日の歓び」の曲について
(校庭行進曲)
我が明石高校OB吹奏楽団では高校現役時代から「校庭行進曲」とか「ドッソラド」と呼ばれていましたが、正しくは冒頭の名前です。
この曲は我々の母校、明石中学(現明石高校)音楽部顧問の 故 有永正人先生 が音楽部(吹奏楽部)の為に外国の歌曲等をつなぎ合わし 行進曲「若き日の歓び」と名付けました。そして歌詞をOBの 呉 幸五郎先輩(中学13回卒)が作られました。いずれもペンネームで 結城 満彰(ユウキ マショウ)(行きましょう)のごろ合わせです。また 舞子 五郎 は、呉先輩の祖父が華僑で有名な 呉 錦堂 氏で舞子の移情閣は自宅だったことから 舞子 五郎 と名乗りましたそうです。
資料提供:明石高13回 高雄 弘文
ドッソの譜面見つかる
「兵庫国体は半世紀前の1956(昭和31)年にも行われていて、そのときの入場行進曲を復活させるつもりでいます」
「当時、明石高校で吹奏楽を指導していた故有永正人先生が編んだ『若き日の歓び』という行進曲を演奏したところ、全国から問合せが殺到したといいます。『校庭行進曲』の別名で今も明石市内を中心に伝承されているが、元の総譜がずっと行方不明でした。前回の『国体賛歌』の吹奏楽譜を探していたら偶然、県警音楽隊に1952年と記された手書きの『若き日の歓び』のほぼ完全なパート譜が見つかったのです。コピーがない時代、隊員らがスコアから写し取ったのでしょう。恐らく最古の譜面で、オリジナルに最も近いと思います」

演奏:明石高校OB吹奏楽団
指揮:大崎健一
2009(平成21)年5月6日
明石市民会館大ホール
「後の新編編曲なども参照し、できるだけ原曲に忠実な形で現在の標準的大編成バンドに合わせたアレンジをしてもらおうと、県ゆかりの音楽家に交渉中です…」
以上2004年5月3日付け神戸新聞の山本茂之先生(前音楽部顧問)と「若き日の歓び」(通称ドッソ)に関する記事「半世紀ぶり幻の行進曲」(by山崎整先輩)より引用しました。
先生は現在2006年「のじぎく兵庫国体」の音楽を担当、キャンペーンソング「はばタンカーニバル」の作詞・作曲をなさいました。