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1962(昭和37年)

街頭に高らか日本一のサウンド

関西勢、全部門制す

全日本吹奏楽コンクール

明高OBなど鼻高々

 [室蘭]第10回全日本吹奏楽コンクール大会は全国10地区から、中学、高校、大学、職場、一般の37団体、約1600人が参加して28日午後9時から北海道・室蘭市の富士製鉄体育館で開かれ、課題、自由曲を見事に演奏、約3000人のファンを魅了した。

 午後7時から審査、講評が行われ、本年度の「吹奏楽日本一」として中学の部は西宮市立今津中学校(兵庫県)が1位となり、3年連続優勝の栄冠を勝ち得たほか、高校の部では天王寺商業(大阪府)大学の部は関西学院大学応援団(兵庫県)職場の部では阪急百貨店(大阪府、2年連続)一般の部では明石高校OB(兵庫県)と、いずれも関西代表が優勝した。

 今津中学校の得津武史先生は「北海道は思ったより暖かく、気候による音響の狂いがなかった。昨年優勝した経験を持つ生徒が半数の20人もいたので、平常通り落ち着いていたと思う。3度目の優勝は、関西の皆さんの力強い支援のたまものと心から感謝しています。」と喜びを語った。

(昭和37年10月29日付、神戸新聞)


関西が優勝独占

全日本吹奏楽コンクール

 全日本吹奏楽連盟、NHK、朝日新聞社主催の第10回全日本吹奏楽コンクールは28日午前9時から北海道室蘭市富士製鉄体育館で開かれ、中学9、高校10、大学5、職場7、一般5の計36団体が出場、課題曲と自由曲の二つで〝日本一〟のブラスバンドをめざして争った。

 コンクールは朝比奈連盟理事長のあいさつにはじまり、去年優勝した各団体から優勝旗の返還があった。

 このコンクールでは関西勢の成績が大いに振い、中学の部で兵庫県西宮市立今津中が水際だった演奏振りを見せ三年連続優勝を飾ったほか出場した五部門の全部で一位を勝ち取った。一地方が優勝を独占したのはこれがはじめてである。各部門優勝チームは次の通り。大学の部…兵庫県関西学院大、高校の部…大阪府天王寺商、職場の部…大阪府阪急百貨店、一般の部…兵庫県明石高OB

(昭和37年10月29日付、朝日新聞)


相つぎ優勝を飾る

全日本吹奏楽コンクール

今津中・関学・明石高OB

 朝日新聞社、NHK、全日本吹奏楽連盟共催の第10回全日本吹奏楽コンクールは28日午前9時から北海道室蘭市富士製鉄体育館で全国から36団体が参加して開かれた。

 満員の会場は勇壮なブラスバンドの音が終日鳴り響き、出場チームは12分の制限時間で課題曲の行進曲「若人」(中学)、「鬨の声」(高校以上)と自由曲の歌劇序曲など得意の曲を演奏したが、どのチームも予選を経ているので、舞台でもあがることなく見事な演奏ぶりだった。

 兵庫チームは出場した3団体がそれぞれ素晴らしい成績で他を圧倒、満場の拍手を浴びた。中学の部の西宮市立今津中は4番目に出場「スラブ行進曲」(チャイコフスキー)を素晴らしい迫力で演奏し3年連続優勝した。大学の部の関西学院大は序曲「チェスター」(W.シューマン)で初優勝、一般の部に出場した明石高OBは歌劇「ファウスト」抜すい(グノー)で、第6回に次いで2度目の優勝を果たした。

明石高OB指揮者、有永正人氏の話 ホールの音響効果がよくて助かった。メンバーの大半は去年とことしの卒業生で、就職している人も2、3人いる。みんな忙しい仕事や勉強の暇をさいて熱心に練習してくれた。大会出場は5回目だが、優勝は2度目。ゆうべぐっすり眠れたのがよかったと思う。

(昭和37年10月29日付、朝日新聞神戸版)


明高OBが祝賀パレード

市役所-本町通り-銀座通り

市民ら拍手の出迎え

 第10回全日本吹奏楽コンクール一般の部で1位になった県立明石高校OB吹奏楽団(呉幸五郎団長)の祝賀行進は、11日午後1時から明石市内目抜き通りで行われた。午後1時、明石市役所前に優勝旗、カップなど持った団員40人が整列、明石市長をはじめ関係者の祝いの言葉、市教委から花束が贈られたあと、団員は明石市民の拍手を浴びながら市役所、本町通り、銀座通りを市中行進、明石デパート前広場で、ご自慢の行進曲、歌劇「ファウスト抜粋」などを吹奏、日本一の腕前を市民に披露した。

 明高OB吹奏楽団は明中時代の昭和5年に結成、現在まで続いており、団員は150人。33年にも全国優勝、また同大会関西ブロック大会でも5回出場、5回優勝という輝かしい歴史を持っている。

(昭和37年11月12日付、神戸新聞)

〝日本一〟ぶりを披露

 去月28日、北海道室蘭市で開かれた全日本吹奏楽連盟、NHK、朝日新聞社主催の第10回全日本吹奏楽コンクール一般の部で全国優勝した明石高校OB吹奏楽団は、11日午後1時半から市役所前広場を出発約30分間市内目抜き通りを祝賀行進した。

 この行進には大会で獲得した優勝旗とカップを先頭にOB、現役ら約50人が参加、有永正人編曲「若き日の歓び」を高らかに吹奏日本一ぶりを市民に披露、国鉄明石駅で解散した。このあと、明石高校で吉川正二校長らが出席して祝賀会を開いた。

(昭和37年11月12日付、朝日新聞神戸版)

祝賀パレードする明高OB吹奏楽団
祝賀パレードする明高OB吹奏楽団
=昭和37年11月11日、明石市役所→中町→銀座通り
ジャズバンド "Savoury Inn" 初舞台
=昭和38年3月10日、舞子ヴィラにて

関西で文字通りトップクラスの合唱団と吹奏楽団が出演するアマチュア・トップ・コンサート。 明石高校OBは、当時常連だった。
=昭和39年1月18日、宝塚大劇場で
昭和39年1月18日、宝塚大劇場で

昭和41年11月20日、仙台・宮城県民会館で
前年、長崎で晴れの招待演奏をするなど脂の乗り切っていたかに見えたが、最後の全国大会出場となった第14回大会
=昭和41年11月20日、仙台・宮城県民会館で

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