常任指揮者、大崎健一(おっちゃん)

大崎健一(おっちゃん)

 1941年生まれ。明石高校11回生。音楽部ではサキソフォンを担当。1959年、明高を卒業と同時に、大阪市音楽団に入団。42年間の長きにわたり、同団の主席ファゴット奏者として活躍。2001年3月に定年により退団。年に一度100人のファゴット奏者による大合奏と役員を置かないユニークな運営で知られる「関西ファゴットの会」創立メンバー。1969年の第1回定期演奏会以降、明高創立50周年記念音楽会を除く全ての演奏会でOB吹奏楽団を指揮。2018年の明石高校音楽部第33回定期演奏会で山口博之(高28回)に指揮棒を譲った後、同年8月31日亡くなられる。
〈OBとの協演履歴〉

1975年OB吹奏楽団第7回定期演奏会
ウェーバー/ファゴット協奏曲ヘ長調

2001年音楽部第16回定期演奏会
F.ヒダス/ファゴット協奏曲

2002年音楽部第17回定期演奏会
保科 洋/バスーンと吹奏楽のための小協奏曲「薄明りの歌」
(明石高校音楽部OB委嘱作)


 春になると、顔なじみのメンバーがみないそいそと練習に顔をそろえる。今年も「おっちゃん」の棒で合奏が出来るのだ。

 おっちゃんは、明高OBでは数少ないプロの音楽家のため、コンクールの指揮を取られたことは一度もない。けれども少なくとも70年代以降の音楽部やOB吹奏楽団を、おっちゃん無しには語れない。

 コンクールは、夏の甲子園大会と同じ暑い時期にある。私が現役の頃、おっちゃんは黒っぽいペーズリー柄の半袖シャツと黒の短パンにハイソックスという出で立ちでこられた。近づくと柑橘系のオーデコロンが香った。

 怖い先輩やOB連中と違い、おっちゃんはいつも優しかった。逆におっちゃんの一言で明高(OB)のサウンドは、間違いなく良い方に反応した。中でもおっちゃんの真骨頂は、どのバンドもやったことがないクラシック曲を明高の自由曲のために編曲して頂いたことだろう。

 ふつうバンドは、上手いパートが活躍する曲を選ぶ。当然といえば当然だが、おっちゃんの場合は、それに加え、飛び抜けて上手な人が旋律を重ねて吹くような書き方をされたのでそれはそれは効果的だった。それで時折勝てた。

from Oboe Hautbois

 OB吹奏楽団が自前の演奏会をしなくなって20年となる。そのブランクは、余りにも長く、今回の結成50周年記念演奏会の話が出たときも、ほとんどのメンバーは自信無げで尻込みをした。だけどおっちゃんは、早くからその開催を慎ましく公言されていた。

 幸い音楽部の皆さんと顧問の鈴木先生のご理解で、曲がりなりにも記念演奏をする機会を得た。とたんに私を含む数名のメンバーが現役当時演奏したおっちゃんの編曲版をもう一度やりたい、と一時的にハイな状態となった。それに対するおっちゃんの考えは、ノー。あくまでOB吹奏楽団ゆかりの曲を原調で演奏することに拘られた。

 優しいけれども、有言実行で頑固一徹。OB吹奏楽団結成50周年は、改めて「おっちゃん=明石高校OB吹奏楽団」を認識する年となった。


(文) 2007.4.28 高25回 沖津幸宏
(写真) 2007.5.5 高29回 朝日美彦
大崎健一編曲版楽曲

・1970年現役自由曲
トッカータとフーガニ短調
(バッハ)

・1971年現役自由曲
歌劇「イーゴリ公」より
ダッタン人の踊り
(ボロディン)

・1973年現役自由曲
時の踊り (ポンキエルリ)

・1974年現役自由曲
バレエ音楽「四季」より
秋(グラズノフ)
桑原孝雄氏との合作

・1975年第7回OB定演
ファゴット協奏曲
(ウェーバー)
松井隆司氏との合作

・1976年第8回OB定演
ホルン協奏曲第3番
(モーツァルト)
松井、桑原氏との合作

・1977年現役自由曲
「ティル・オイレンシュピーゲル の愉快な悪戯」
(R.シュトラウス)

・1978年現役自由曲
交響的断章「パシフィック231」 (オネゲル)

・1979年現役自由曲
ディオニソスの祭り
(フローラン・シュミット)
最初の遅い部分

・1980年現役自由曲
バレエ音楽「ペトリューシカ」
(ストラヴィンスキー)

・1981年現役自由曲
バレエ「ロミオとジュリエット」より
モンタギュー家とキャピレット家、 タイボルトの死
(プロコフィエフ)
山口博之氏との合作